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日本で初めて銀鮭の養殖を事業化した、宮城県女川町「銀鮭の父」

日本で初めて銀鮭の養殖を事業化した、宮城県女川町「銀鮭の父」

「銀鮭の父」と「銀鮭の孫」。2人が起こす2つの“日本初”に迫る

早朝4時過ぎ。ここは宮城県女川町の漁港から船で5分ほどの海上。男たちが大量の魚を、海上の生け簀から船のタンクへと放り込んでいきます。

飛び交っている魚は「銀鮭」。

そしてこの養殖場を管理しているのが、「銀鮭の父」と呼ばれる人物です。

今では当たり前のように年中スーパーに切り身が並ぶ鮭ですが、実は養殖が一般的になり安定して食べられるようになったのは、ここ30年ほどの話。それまでは天然の“秋鮭(シロザケ)”が一般的で、秋・冬にしか漁獲ができず、しかもその成長には3〜5年の年月がかかっていました。

それに対して銀鮭の漁獲時期は春から夏。しかも11月に稚魚から育てれば、翌4月末には50cmほど。7月には大きいもので80cm台にまで育つという成長スピードを持っています。そんな夢のような銀鮭の登場。養殖がはじまった際はみんなに歓迎されたかと思ったら、事実は正反対でした。

鈴木欣一郎さん。80歳を超えて今もなお養殖現場の最前線に立ち続ける「銀鮭の父」が、はじめて銀鮭の養殖に踏み出したのは昭和52年のこと。

当時、事業として銀鮭の養殖に取り組む人はおらず、宮城県北部の志津川(現・南三陸)に試験養殖場があるのみでした。銀鮭の養殖、鮭の安定供給に可能性を感じた欣一郎さんは、試験養殖場へノウハウを教えてもらおうと3度足を運んでお願いしますが、断られます。当時、試験場でも完成していなかった銀鮭の養殖を、いきなり事業としてはじめようとする欣一郎さんへの風当たりは強かったのです。

それでも諦められない欣一郎さんは試験養殖場へ何度も足を運び続け、その技術を目で学んだといいます。そこから稚魚やエサの開発に取り組み、本格的に養殖をスタートするまでに約2年を費やしました。

しかし、ここでまた欣一郎さんに試練が訪れます。漁協や周囲の漁師たちから、銀鮭養殖の大反対を受けてしまったのです。当時の宮城県は牡蠣やワカメの漁場が中心。銀鮭のエサやフンが他の魚介類に悪影響を与えるのではと不安が増大。周囲の協力が得られないどころか、漁協を通しての販売も受け入れてもらえませんでした。

しかし、それでも欣一郎さんは諦めません。「漁協が売ってくれないなら、自分で直接売ればいいんだ」と、水揚げした銀鮭を片っ端から箱に詰め、自ら築地をはじめとした全国の市場へ出荷したのです。それまで春や夏に鮭が入ることがなかったので、市場の仲買い人たちはびっくり。築地で驚くほどの高値が付いたそうです。

そんな状況を見て、女川の漁師たちも徐々に真似をするように。欣一郎さんの親戚をはじめ、大手の水産業者までが目をつけ、今では県内だけで約60の漁業者が銀鮭の養殖を行っているそうです。

早朝の漁港には各社の養殖場へ向かう船が。

こうして養殖された銀鮭は全国へ広まり、今ではお店でも家庭でも、いつでも美味しい鮭が食べられるように。欣一郎さんは、そんな世の中をつくり出した、まさに「銀鮭の父」なのです。

獲れたての銀鮭。4月末でこのサイズ。

●株式会社マルキン
住所:宮城県牡鹿郡女川町小乗浜字小乗1−22
電話番号:0225-50-2688
HP:http://www.kaki-marukin.com/

※後編では、「銀鮭の孫」が目指すビジョンと、ブランド銀鮭「銀王」をご紹介します。

 

撮影・取材・文/中川めぐみ
釣りアンバサダー 兼 ツッテ編集長。釣りを通して感じられる日本全国の地域の魅力(食、景観、人、文化など)を発見・発信するため、メディア「ツッテ」の運営や、初心者向けの釣りイベントを実施。自ら全国の港を飛び回っており、2018年は100地域での釣り旅を計画。レアニッポンでは全国の港町で見つけた地域や海にまつわるおもしろいものをお伝えしていきます。https://tsutte.jp

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