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面白さ、想像以上!「淡路人形浄瑠璃」百聞は一見にしかず

面白さ、想像以上!「淡路人形浄瑠璃」百聞は一見にしかず

人形浄瑠璃って見たことあります? ないですよねぇ。実は、私も見たことがありませんでした。
そんな折、淡路島に行ったら、ぜひ見たほうがよいとすすめられて、「淡路人形浄瑠璃」を唯一常設で見ることができる「淡路人形座」へ潜入、500年の伝統を受け継ぐ公演を鑑賞するとともに、若手座員たちの奮闘ぶりを取材してきました。

鑑賞した演目は「戎舞(えびすまい)」
酒をご馳走になって酔った戎さまは、船に乗り、沖に出て、大きな鯛を釣り、メデタシ、メデタシと舞い納めるという、なんともおおらかなストーリーですが、人形の動きは時に激しく、時に優雅で、まったく見飽きることがありません。演目の前には、人形の動かし方や感情の表し方のレクチャーがあって、からくりを披露してくれるので、興味津々で舞台に注目できました。見終わった後は、すっかりえびす顔です。

2012年にオープンした劇場は、専用劇場だからとても見やすい。内装に淡路特産のいぶし瓦や竹がふんだんに使われていて情緒たっぷり。
上演前に人形操りの説明がある。「かしら」と右手を操るのが主遣い。人形の左手を操るのが左遣い。真ん中で人形の両足を操るのが足遣い。動かし方ひとつで、怒りや悲しみなどの感情表現が巧みにできることにビックリ!

かつて淡路島は、人形浄瑠璃の聖地でした

もともと淡路島には、人形浄瑠璃が生まれる前から、人形操りの伝統がありました。その起源は、兵庫県・西宮のえびす神に奉納されていた「人形操り」の神事なのだそう。西宮から百太夫(ひゃくだゆう)という人形遣いが、淡路に移り住んで技を教えたことが始まりとされています。

人形浄瑠璃という演劇は、文禄・慶長年間(1592~1615)に人形操り、浄瑠璃、三味線の3つの技芸が結びついて京都で生まれました。その後、元禄年間(1688~1704)に、「義太夫節」を始めた竹本義太夫や浄瑠璃作家の近松門左衛門が出て大きく発展します。

最初は小さい人形を一人で操っていましたが、18世紀前半に3人で操る三人遣いが考案され、人間よりもダイナミックな動きや美しい動作が可能になったことで、ますます人気を博し、歌舞伎をしのぐ全盛期を迎えていきます。

この時代、大阪から新しい浄瑠璃を取りいれた淡路島には、40以上の人形座(プロの人形劇団)が誕生し、全国各地を巡業して回ったのだとか。淡路の人形座の巡業が浄瑠璃文化を全国に普及させ、根付かせたといえるのです。

淡路人形浄瑠璃の「かしら」は文楽と比べて一回り大きいのが特徴。檜(ひのき)や桐が素材で、顔を彫った後、耳のところで前後に割って中をくりぬき、からくりを仕込む。ほとんどが100年以上前に作られたもので、修理しながら大切に使っている。

淡路の人形座は中央で途絶えた演目や淡路で創作・改作された独自の演目を伝承してきたのが特徴で、神事色を残しながら、早替わりなど観客を驚かせる趣向を取り入れていて人気がありました。淡路では「芝居は朝から弁当は宵から」という言葉があるように一日中人形芝居を見るのが最大の娯楽となっていきました。

しかし、各地でもてはやされた淡路人形芝居も、明治になると、客の関心が他の娯楽に移ったり、修業の苦しさから後継者が育たなかったりして、次第に衰えていきます。第二次世界大戦後、淡路人形は消滅の危機に瀕します。なんとか伝統を守ろうと1964年「淡路人形座」が生まれ、1976年には、国の重要無形民俗文化財に指定。その後、淡路の1市10町が協力して淡路人形協会が発足し、現在に至ります。

淡路人形浄瑠璃の歴史を教えてくれた人形座支配人の坂東千秋さん。淡路系人形芝居が各地に伝播していった背景には、当時の徳島藩の政略もあったのでは? と裏話を披露してくれた。

全員「郷土部」出身!? 今年、人形座に加わった3人に話を聞いてみると

左から、松本 篤さん(31)、近藤 翔さん(18)、藤江明梨さん(18)。3人とも地元出身。

今年、人形座には、3人の新入座員が入りました。人形遣いを目指す松本篤さん(31)と藤江明梨さん(18)、太夫を志す近藤翔さん(18)。実は、3人とも淡路三原高校卒の郷土部出身。えっ、郷土部って何?

「淡路では当たり前に呼んでますけど、郷土芸能部とか、郷土文化部とかと同じで、人形浄瑠璃を演じる部活動です」

そんな部活があるんだ! びっくり。

実は伝統の継承および後継者の育成を念頭に、南あわじ市には、小・中・高校に人形浄瑠璃部があり、人形座が指導しているのだそう。それを郷土部と呼ぶのでした。つまり今回入った3名は、部活動を通じて人形浄瑠璃の世界に飛び込んだいわば人形エリート。それでも大変?

「足7年、左手7年、頭と右手は一生と言われるように、人形遣いの修業に、終わりはありません。僕は、高校卒業後、社会人のグループで活動していたんですが、人形座は、憧れの舞台でした。やっと人形座で演じられるようになったので、毎日人形のことばかり考えています。どの演目にも新しい発見があるし、人形の動きもそれぞれの先輩で全部違います。だから、ついていくだけで精一杯。慣れない動きが多く、筋肉痛にも悩まされていますが、いつかは主遣いをできるようにがんばっていきます」と年長の松本さん。

女性で人形操りに挑戦している藤江さんは、「私は、郷土部で演じていたときに、見にきてくれたお客さんが本当に喜んでくれるのが嬉しかったんです。人形ってこんなにも人の心を動かすことができるものなんだな」と、舞台の魅力を語ってくれました。

8時30分に出勤して、掃除や朝礼、1日4回の公演があってその後は練習。ほかにも出張準備など、ハードな毎日だけど、充実しているそうです。

人形遣いの練習は厳しい。3人の息を合わせるために何度も稽古を重ねる。

3人の中でもひときわ明るいのが、太夫を目指している近藤さん。
「淡路にはお祭りのときに、太鼓のリズムに合わせて浄瑠璃のクライマックスを独特の節回しで歌い上げる、だんじり唄があるのですが、僕は、子供の頃からそれが大好きやったんです。だから、あんなふうに歌いたい、太夫をやりたいと早くから思ってました」

先輩のマンツーマン指導。床本に沿って、抑揚のつけ方や、声の上げ下げまで、細かく口伝されていく。近藤さんも普段とは違って、義太夫の声になっているのは、さすが。

3人とも厳しい修業の日々ですが、情熱を持って芸を受け継いでいく覚悟を語ってくれたのでした。

淡路人形座があるのは、淡路島の南部、福良(ふくら)という所。ここは良質の漁港でもあると同時に、うずしおクルーズの発着地でもあります。地元の朝採れ野菜や魚介類が買える「道の駅・福良」も隣接していて、実は観光にはとても便利な場所でした。

福良港に隣接する「淡路人形座」。

淡路人形座
URL:http://awajiningyoza.com/

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撮影/塩崎 聰 取材・文/編集部

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