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「緑寿庵清水」最高の金平糖を探求しつづける一子相伝の技【東京・銀座】

「緑寿庵清水」最高の金平糖を探求しつづける一子相伝の技【東京・銀座】

1546年にポルトガルからもたらされた異国の品々のひとつで、中でもひときわ美しく人々の目を引いた菓子、金平糖。織田信長も宣教師から贈られ、その形と味にたいそう驚いたといいます。当初は公家や高級武士しか口にすることができない貴重な品とされていましたが、長崎から京都、江戸へと広まって、18世紀には庶民にも親しまれるようになりました。

「緑寿庵清水」の創業は1847年、 現在と同じ京都・百万遍の地に初代・清水仙吉が暖簾をあげました。二代目・清水庄太郎が受け継ぎ、三代目・清水勇になったころから少しずつ肉桂、濃茶などの金平糖を展開、四代目・清水誠一になり、本格的にさまざまな素材を使った金平糖作りに挑戦し、五代目・清水泰博(※「博」のつくりは「専」の字)とともに現在は約60種類の味を楽しめるようになりました。

コテ入れ10年、蜜掛け10年

金平糖にはレシピがなく、その時々の天候や温度、湿度などにより常に結晶具合が変化しています。職人は、金平糖が釜の中に流れ落ちる音で、コテ入れの感触など五感を使って判断しているのです。そして、その結晶具合に合わせて、釜の温度や角度、蜜の濃度などを調節することにより、美しい星形の金平糖が出来上がります。
仮に微妙な調節がうまくいかなければ、割れたり、分離したり、液状になってしまいます。そうなれば修正がきかず、たとえ完成間近でも全部捨てて、また最初からやり直しとなってしまうため、常に集中力が必要とされます。一般的には、砂糖の金平糖を作る技術の習得にはコテ入れ10年、蜜掛け10年の時間を要すと言われています。

想像以上に困難な金平糖作り

菓子作りの中で、砂糖を結晶化させる技術は一番難しいとされています。さらに風味のある金平糖を作るとなると、大変難しいことです。なぜなら、砂糖に素材を加えると、酸や油分、塩分が加わることにより固まらないとされていたからです。その常識を覆し、60種類ほどの金平糖を作り出しているのが「緑寿庵清水」なのです。
新製品の製作には2年以上もかかります。冷暖房が使えない工房では、夏場の室温は50度以上に。10分でも放っておくと金平糖の形にはならないため、釜の傍から離れることができません。
ちなみに、金平糖のイガは、核となる「イラ粉」が釜の上から下へ転がっていく時、鉄板に触れた部分の蜜が乾いて少し固い突起ができ、そこには他の場所よりも蜜がついて突起部分が段々と大きくなってイガになるとのこと。あの独特な形も、手間隙をかけて作られるからこそできるというわけです。

常に最高の金平糖を求めて……
左:四代目・清水誠一さん 右:五代目・清水泰博さん

四代目・清水誠一さんは「金平糖を作る中で一番難しかったことは、先に作られた例がなく、教えてもらう人がいないということで苦労しましたが、日々の積み重ねで克服してきました」と言います。「伝統を守り続けながら時代(嗜好)に合わせていろいろ創り出すとアイデアも浮かんで、また次のヒントになっていく」とも。

また、五代目・清水泰博さんは、金平糖作りに携わって16年がたち、音とコテの感覚など五感でわかるようになってきたそうですが、60種類もの金平糖があると60通りの性質があり、ひとつひとつ違うと言います。一度完成した金平糖は、一生に一度しか作ることができないということです。

「初代が作り始め、二代目、そして三代目に受け継がれ、父が本格的に作り出した“素材を加えた風味のある金平糖”には歴代の職人たちの思いが込められています。“他にはないもの、自分にしかできないもの”を作り出していき、お客様からいただく“美味しい”という言葉を励みに、緑寿庵清水にしかできない金平糖を探求しつづけていきたいと思います」

伝統を守るために、常に新しい挑戦をしながら革新的な金平糖を求める「緑寿庵清水」の、今後がますます楽しみです。


銀座 緑寿庵清水
住所:東京都中央区銀座6-2-1
URL:http://www.konpeito.co.jp/

取材・文/磯部らん
文筆業・マナー講師。日本酒やモノに関するエッセイや雑誌の取材記事、書籍を執筆。利き酒師として、日本酒と風呂敷・酒席でのマナーについての講師としても活躍。著書に『イラストでよくわかる おとなの「言い回し」』『正しい敬語どっち? 350』『イラストでよくわかる 敬語の使い方』『超入門 ビジネスマナー 上司が教えない気くばりルール』『人から好かれる話し方・しぐさ 基本とコツ』などがある。http://www.isoberan.com/

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