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グローカルを実践する笑顔のリーダー 宮崎ひでじビール社長・永野時彦さん

グローカルを実践する笑顔のリーダー 宮崎ひでじビール社長・永野時彦さん

この記事は、特集・連載「夏のクラフトビール特集」宮崎編 Vol.3です。

今や「世界一のビール」を世に送り出す、「宮崎ひでじビール」(以下、ひでじビール)。20世紀後半の地ビールブームの波に乗って誕生した、宮崎県延岡市の小さなブルワリーです。石油卸売会社の一部門から、会社として独立したのは2010年7月。赤字続きで会社のお荷物的存在だった事業が、一度は「閉鎖決定」となったものの、起死回生で株式会社化。その後、業績は右肩上がりです。同社を率いる永野時彦社長に奇跡のストーリーの裏側、快進撃を続ける秘密を伺いました。

工場閉鎖を阻止した策とは? 自家製酵母への転換が転機に

2017年、36か国から1900以上の銘柄が参加したビールコンテスト「ワールド・ビア・アワード」(WBA)が開かれ、「スタウト&ポーター」部門でひでじビールの「栗黒(くりくろ)」が正真正銘の世界一を受賞しました。

コンテストから遡ること7年前の2010年、ひでじビールは消滅の危機にありました。本社が事業部の閉鎖を決めたのです。「社長が交代したばかりだった頃で、その1か月前にあと3年は様子を見よう、結果を出してくれという言葉を引き出していました。それが一転して『閉鎖、最終決定』ですから、なおさらショックでした」と、部の責任者であった永野さんは当時を振り返ります。

2006年、品質向上策の一環として、工場内に無菌室を作り、酵母の自家培養を始めました。自社の欠点をとことん洗い出し、同時に大規模な醸造環境改善を進め、2009年国内でも非常にまれな自家製酵母のビールを世に送り出しました。現在のひでじビールの味が完成したわけですが、これが大ヒット。同社のフラッグシップ「太陽のラガー」はアジアビアカップ、インターナショナルビアカップで金賞を受賞するなど、ひでじビールのまさに転機となりました。その直後にやってきた閉鎖の決定、衝撃の大きさがわかります。

その時、何をしたか。現社長はスタッフとともに、エンプロイー・バイアウト(従業員による会社買収、EBO)を行うことを決めます。永野さんが41歳の時でした。

困難に自ら飛び込むような形になった状況を、「頭がまともではなくなっていた」と冗談まじりに話す永野さん。「人生設計だけを考えたら、家族もいるし、そんなリスキーなことには手を出しません。でも、スタッフ一人ひとりの落ち込みを考えたときに、責任者として何かやらなくちゃいけないと思った。人が困っていたらなんとか力になってやりたいと思うのは、私の常。部下たちの悲しむ姿を見たくなかった」。

市街地にある本社と離れた、山のふもとにある事業部だったこともあり、すでに家族的な雰囲気が作られていたそうです。本人自身の言葉を借りると「お父さん」のような存在だった永野さんの決意に、スタッフは「ついていきます」と全員が返答。永野さんは「これで火がついたんです」と話します。

挑戦し続けることで笑顔を増やす 代表作生む「宮崎農援プロジェクト」

新会社「宮崎ひでじビール」として再出発した際に、社員全員で企業理念を決めたそうです。

我々ひでじビールは
柔軟な発想力と高い品質の追求で
グローカルな食の文化を創出し、
地域の繁栄とお客様の笑顔の為に
心をもって邁進します。

6人の社員が会社で大切にしたいことを出し合い、言葉を繋ぎ合わせて作られたもの。「発想力」「グローカル」「食の文化」「地域」「笑顔」というキーワードを見るにつけ、その後の同社の歩みがこれに沿って生まれてきたことがわかります。

ひでじビール消滅の危機に陥るも、なんとか融資を取り付けEBOに成功した同じ年、畜産県・宮崎で家畜の伝染病「口蹄疫」が発生します。翌年には新燃岳の噴火に、「鳥インフルエンザ」の発生も。宮崎県全体が相次ぐ災難に見舞われました。

会社を立ち上げたばかりで苦しいなか、宮崎をなんとかしたい、地域を元気にしたいという思いから「宮崎農援プロジェクト」が誕生します。日向夏、マンゴー、金柑など宮崎の特産品を生かした商品開発と同時に、宮崎の農家を元気づけるような取り組みを始めます。そこから生まれたビールは数知れず。

中でも、大麦、ホップまで宮崎産にこだわり、地元農家に協力を仰ぎながら生産から手掛け、麦芽まで自家製にしたビール「YAHAZU(やはず)」は宮崎のプライドといえるもの。安価で手に入る外国産の材料を使うほうが、安定した品質が保証され、経営面、現場の手間、ともにコストは低く抑えられるでしょう。南国・宮崎で暑さを好まないホップを作るという挑戦も、無謀なことのように思えます。

実は、地元と一体になる挑戦は材料だけではありません。専門業者から購入すれば、早く安く手に入るビールタンクを地元・延岡の鉄工所に依頼し製作したことも。冷却するためのタンクは見た目よりも構造が複雑で、鉄工所と言えどもそれをやり遂げることは簡単ではないそうです。それでも、メーカーをやる気にさせ、時間をかけ試行錯誤しながら特注品を完成させたのです。

社長は「周りの人からはつらいチャレンジに見えるようですが、うちの社員はみんなニコニコして、楽しんでいますから」と言います。

九州初のホップ栽培をひでじビールとともに取り組んでいる、生産者に話しを聞く機会がありました。永野社長に口説かれ参加したことを説明し、「今はワクワクしながら取り組んでいます」と笑顔で話していたのが印象的でした。また、スタッフが工場の原料ストックルームを案内してくれたときも同じことを感じました。「県産材料を使うことは本当に大変。農家のように天候のことも気にかかるし、収量を増やしていく方法も考えなくてはいけないし…」と率直に語りながらも、うれしそうな表情でした。

地元で起こるニコニコとワクワクの伝播…。周囲が難しいと感じたものにこそ、挑戦したくなる社長の反骨精神とバイタリティ。そして、「なんとかなる」というおおらかさを兼ね備えたリーダーシップで人々を巻き込み、さらなる高みを目指す。

もしや、そこまでが社長の企みなのか。もちろんいい意味でですが、どちらにせよ「困っている人を助けたい」、「人が喜ぶことをやりたい」という社長の思いが人々を新たな挑戦に向かわせ、笑顔を増やしていることは間違いないでしょう。

ひでじは「地下アイドル」? クラフトが当たり前になる世の中を見据えて

今まで見てきてわかるように、ひでじビールは「ストーリーのあるビール」。これらによってブランドイメージが確立され、名実ともに日本を代表するクラフトビールの一つになりました。そんな現状を社長は、「過剰に評価されることがむずがゆい」とも言います。

ひでじは2019年3月に大手メーカー、キリンビールが始めたクラフトビール販売事業「タップ・マルシェ」に参画しています。企業規模は違えど、ライバル同士がタッグを組むという展開に驚いたビール好きも多かったようですが、永野社長も熟慮を重ねて決断したそうです。

「あの経営判断はとても勇気がいりました。すごいと好意的に受け止められればいいけど、この世界、そうじゃないですから。たとえ話をすると、地下アイドルを応援しているオタクの青年がいるとして、その地下アイドルが全国区のアイドルになってしまったら? きっと、急に冷めてしまう。あまり知られていない彼女を応援するのが、彼は好きだったからです。ひでじビールは、まさに地下アイドル。いきなり大手と組んで全国区になってしまったら興ざめさせてしまうのではないか。私は田舎者なので『あんな大きいところがうちと組む? 絶対、だまそうとしている』(笑)とも思っていました」

地ビールブームで乱立した醸造所は淘汰され、今はその後の世代が醸造家となり、それぞれの思いを表現するローカルビールを造る時代が来ています。今後、ひでじビールはどんなゴールを目指すのでしょうか。

「将来的にはクラフトビールは、特別なものではなく当たり前の存在になると思う。そのときに消費者の頭の中にひでじが自然と頭をよぎるようになれば、それがゴールなのかなと。まずは、九州に一歩足を踏み入れたら、『ひでじを飲まなくちゃ』と誰もが思ってくれる存在になりたい。九州を代表するブランドとして、多くの人が認めるようなブランドになれば、それ以上、大それたことは望まない」

そして、こうも付け加えました。

「九州の代表は宮崎なんだぞ、というものをしれっと造りたい。今後も九州のビジネスの中心は福岡かもしれないが、“九州の食の都は宮崎”というところは目指せるのではないか。地方分権の変化球というか、九州の食の中心を本気で目指すリーディングカンパニーになれたら…」

社長の頭の中には、誰にも話していない、たくさんの夢がほかにもあるのではないかと感じます。時代の流れを読み、天性の勘で機が熟すのを見る。周囲は新たな社長の挑戦に驚きながらも、高揚感をもち、一致団結してプロジェクトを成功させる。深読みかもしれませんが、クラフトビールファンであれば、それを期待してもよさそうです。いつか、ドラマ化されそうな宮崎ひでじビール。ビール片手に、今後もそのストーリーを見守っていきましょう。


宮崎ひでじビール
https://hideji-beer.jp/

取材・文/小御門 綾
編集者/ライター。福岡県生まれ、神奈川県川崎市育ち、宮崎県在住。明治学院大学卒業後、メーカー勤務。その後、出版社勤務を経て、フリーランスの編集者、ライターに。現在、「日向経済新聞」(みんなの経済新聞ネットワーク)の編集長を務め、宮崎から情報を発信する。築150年ほどの古民家に住み、おいしいもの探しが趣味。

撮影/本井信哉

編集/くらしさ

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