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秘密は「自家製酵母」にあり “世界一のビール”を生んだ宮崎ひでじビール

秘密は「自家製酵母」にあり “世界一のビール”を生んだ宮崎ひでじビール

この記事は、特集・連載「夏のクラフトビール特集」宮崎編 Vol.2です。

宮崎・延岡の山のふもと…世界No.1の「栗黒」は小さなブルワリーから

宮崎県北部に位置する延岡市の市街地から車で30分ほど、行縢(むかばき)山のふもとに世界一のビールを育んだ「宮崎ひでじビール」(以下、ひでじビール)の故郷があります。山を望むと行縢の滝、別名「矢筈(やはず)の滝」が見え、おいしいビールの条件のひとつである良質な水源に恵まれていることがわかります。

こちらの行縢醸造所では、ひでじビールの代名詞ともいえるピルスナー「太陽のラガー」をはじめ、常時15種ほどを醸造していますが、クラフトビール工場らしく、その敷地は大変コンパクト。工場併設の売店は無人で、購入したい場合は電話で担当者を呼ぶようになっています。限られた人数で会社がまわっていることを推測させ、和んだ気持ちになると同時に、「本当にここで、世界一のビールが誕生したのか?」という疑問もわいてきます。

しかしながら、この醸造所で生まれたビール「栗黒(くりくろ)」が、36か国から1900以上の銘柄が参加した2017年のビールコンテスト「ワールド・ビア・アワード」(WBA)で世界一の栄冠に輝いたのです。

栗黒の開発秘話については別で記すとして、なぜ、ここがうまいビールの源泉なのかを探っていきます。

うまさは、工場内で作る「フレッシュ酵母」から

ビールの原料は大きく三つ、水、麦芽、ホップです。ひでじビールの水は、行縢山の花崗岩を通ってきた地下湧水を使います。麦芽は伝統あるヨーロッパからの輸入品のほか、原料を九州産に限定したシリーズ「九州CRAFT」で採用する宮崎産、福岡産なども使い、現在は国産が3割程度になっているそうです。

ホップは、世界にある100種ほどから厳選したものを使用。ピルスナー発祥の地であるチェコやドイツなど、ヨーロッパ産のものは品質が安定していますが、国産のものも使用。さらに3年前、宮崎産ホップの栽培にチャレンジしました。暑さに弱いため、南国・宮崎での栽培は適しておらず、ドイツのホップ農家から「やめておけ」とも言われましたが、「やった人がいないということは、失敗した人もいないということ」という超ポジティブな社長のひと言で挑戦、大半の人の予想を裏切り、見事成功させました。収量はまだまだ少ないとのことですが、希少という付加価値のついたビールの誕生に貢献しています。

次は、工場に入らせていただき、製造工程を見ていきましょう。もわっとした暑さに驚きますが、これはビールが幾度かの加熱を経て完成するからです。醸造責任者の片伯部智之さんが笑顔で迎えてくれ、手を動かしながら説明してくれました。

まずは麦芽を粉砕し、糖化しやすいように粗挽きにし、温水といっしょに釜で混ぜ、加熱していきます。温度を調整しながら、麦芽に含まれるでんぷんを糖へと変化させます。これらを別のタンクへ移動させ、麦汁をドリップ。このときに麦の甘い香りがたちこめ、いわゆる「一番麦汁」ができあがります。もう一度ろ過すれば、二番麦汁が完成し、それ以上のろ過は行わないそうです。麦汁をまた別の釜に移し、沸騰させます。このときにホップを入れていきます。ビールらしい独特の香りや苦味、そして何より泡の元となる成分を生み出します。

その後、不要物を除去し、麦汁を冷却。ビール酵母を投入し、発酵させます。この酵母に、ひでじビール最大の特徴があります。自社の無菌室で培養した自家製酵母「フレッシュ酵母」を使うのです。

ビール事業部統括部長の梶川悟史さんは、「厳選した材料を使うことはもちろん、いかに元気に酵母を働かせるか、これが本当のビール職人の技です。いわば、酵母の手伝い、それだけなんです」と言います。

ほとんどのメーカーが酵母は購入したものを使います。しかし、酵母は生き物、輸送中に消耗してしまったり、何度か使いまわすことで活力がなくなったりするそうです。ひでじビールでは、工場内で純粋培養した生きのいい酵母を一度で使いきります。元気な酵母で造ると、ビール通がいうところの「きれいな味」になり、使いきることで突然変異のリスクをなくし、味の再現性が保たれるのです。

環境をヨーロッパにして取り組むビール造り

もうひとつ大事なことは、「清潔な環境でビールを造ること」と梶川さん。発酵、熟成させるタンクは1回ごとに洗浄します。タンクだけでなく、部品の一つひとつをはずして分解し、それぞれを徹底的に洗います。骨の折れる作業でしょうが、二次発酵と合わせて2か月程度かかる発酵が終わると、必ず行うそう。日本でのビール造り、特に南国・宮崎でのビール造りは、適した環境とは言いがたいとのこと。暑さも湿度もあり、菌を利用し発酵させて造る日本酒を国酒とする国で、低温で乾燥した、菌が少ないヨーロッパ由来の酒を造るにはここまでしなくてはならないのです。

発酵が終わったビールは貯酒タンクで熟成。炭酸、味、香りのバランスを見て、落ち着かせた後、責任者のテイスティングを経て、びん、樽に詰められます。

規制緩和によって地ビールが全国各地で誕生していた1996年、ひでじビールは誕生しました。けれども当初は、「ひでぇ地ビール」と揶揄されることもあったとか。一生懸命造っても売れず、社名のついたジャンパーを着て街なかを歩くことも憚られる時代があったと工場長の片伯部さんはいいます。

2010年に酒造りを生業とする酵母のスペシャリストを招き、3か月の集中講義。スタッフ全員、通常業務を行いながら、不眠不休で製品の改良に努めました。そして、酵母を自家製に、環境を徹底的に清潔にしたことで、格段に味が変化したのです。

この変化をクラフトビールの専門家、ファンが見逃すはずがありません。アジアで最も権威のあるビール鑑評会「アジアビアカップ」をはじめ、「インターナショナルビアカップ」で金賞を受賞し、自分たちの信じてやってきたことが報われるという喜びに包まれました。

世界No.1の「栗黒」、実は「本命」じゃなかった!

「再出発」「いよいよこれから」と誰もが思っていたそのとき、「ひでじビール消滅」の危機が起こります…。その驚きのストーリーは別の記事に詳細を譲るとして、先ほど触れた「栗黒」開発物語をお送りします。

実はこのビール、同社初の輸出用商品として開発したものです。2013年、あるところから北米にひでじビールを広めたいとオファーがありました。既存商品で勝負しようと交渉しますが、どうしても価格面で双方の折り合いがつきません。2年間粘り強く商談しましたが、うまくいかず、社長がこんな提案をしたそうです。「価格は譲れない。その代わり、あなたたちの好むものを造るから、どんなものがいいか希望を言ってくれ」。先方から出たリクエストは「アルコール度数が高い」「飲み口が重い」「日本の原料を使っている」、そして「和のパッケージである」ことでした。

行縢醸造所に戻り、これらの条件に合うものをと試行錯誤。自信をもって輸出できる「本命」商品ができあがりました。しかし、ここで「待てよ」と思うのが同社社長。一つの商品を提案すれば、採用か不採用になるだろう。それなら、二つの商品を出して、どちらかを選ぶ形にしたほうがいいのではないか。そこでもう一つ商品を造ることにしました。本命への気合に比べれば、気軽に造った2本目。北米へ飛び、商談相手に飲んでもらうと、なんとこの宮崎産和栗を使った2本目が採用になったのです。

宮崎・延岡の山のふもとで造られる、ひでじビール。まだまだこれからも、おいしさと思いもよらないストーリーを生んでくれそうです。


宮崎ひでじビール
https://hideji-beer.jp/

取材・文/小御門 綾
編集者/ライター。福岡県生まれ、神奈川県川崎市育ち、宮崎県在住。明治学院大学卒業後、メーカー勤務。その後、出版社勤務を経て、フリーランスの編集者、ライターに。現在、「日向経済新聞」(みんなの経済新聞ネットワーク)の編集長を務め、宮崎から情報を発信する。築150年ほどの古民家に住み、おいしいもの探しが趣味。

撮影/本井信哉

編集/くらしさ

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