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ファンを虜にするカリスマブルワー・佐藤栄吾さん【志賀高原ビール】

ファンを虜にするカリスマブルワー・佐藤栄吾さん【志賀高原ビール】

この記事は、特集・連載「全国から厳選!クラフトビール特集」長野編 Vol.2です。

地ビールブームが去った2004年からクラフトビール造りを開始し、個性的なビール造りで一気に人気ブルワリーの仲間入りを果たした、長野県の「志賀高原ビール」。造り手の玉村本店8代目・佐藤栄吾さんは、外資系大手証券会社や衣料メーカーでの勤務を経て家業の酒蔵に戻り、ビール醸造を開始した異色の経歴の持ち主です。

自分たちが飲みたい酒を楽しみながら造り、地域の魅力向上に貢献

「長いこと違う仕事に就いていましたが、いつかは家業の責任を取らなきゃいけないと思っていました」

こう話す佐藤さんは、外資系証券会社「ゴールドマン・サックス」で12年間働き、ニューヨーク勤務も経験。その後、衣料メーカー「ユニクロ」を経営するファーストリテイリングに転職し、マーケティングの責任者兼執行役員を経て2003年、家業を継ぐべく200年以上日本酒造りを続けてきた蔵元の玉村本店に戻ってきました。

江戸時代後期、1805年創業の玉村本店

奇しくも1994年の酒税法改正により全国各地で地ビール醸造が広まったものの、2000年頃から衰退し、いわゆる「第一次地ビールブーム」がすっかり去っていた時代。しかし、佐藤さんはもともとビールが好きだった上に、世界にはさまざまな種類のビールがあり、日本の食卓には多彩な食事が並ぶことを知っていました。それらを受け、自分たちならではの特徴を生かしたビール造りをしていこうと決意したのです。

「飲み物の多様化や景気の落ち込みにより、日本酒の需要も落ち込んでいた時期でした。ただ、地元には志賀高原や湯田中渋温泉郷といった観光地があり、そこで飲まれる大手メーカーのビールの量は減っていない。うちは酒類の卸売りも手掛けているので、その一部を自社ビールに置き換えることができたら商売として成り立つと思ったんです。それに、異業種から地ビール業界に参入し、過剰投資で廃業したブルワリーの、余った醸造設備がどこかにあるとも思いました」

蔵元・玉村本店が醸す代表銘柄「縁起」

一方で、スキー客が大幅に減少し、日本屈指のスノーリゾートとして知られる志賀高原の観光産業も下向きだった時代。自社での取り組みが地域の魅力向上につながれば、そんな思いもあったと言います。

ポリシーは「自分たちが食事と一緒に飲みたい酒を楽しみながら造り、地域の魅力向上に貢献すること」。そうしたなかで思い浮かんだのが、和食から洋食、エスニックにまで合うホップの効いたアメリカンスタイルのビールでした。

「ホップの苦味や香りは心地いいし、食事の脂っこさを洗い流してくれる相性のよさもあります。それに、ホップの柑橘系の香りは今までの日本のビールになかったため、大手メーカーのビールとは違うものとして、楽しんでもらえる余地があると思いました」

ビールの製造免許取得には、年間の製造見込数量が60klに達する必要がある

そこで、自家醸造が法律的に認められているアメリカの文献を片っ端から読んでビール造りを勉強。九州のメーカーでの研修やクラフトビール開業コンサルタントへの相談も経て、廃業したブルワリーの設備を格安で買い取り、帰郷後わずか半年の2004年にホップを生かしたビール醸造を開始しました。醸造免許の申請で訪れた国税局からは「正気か?」と驚かれ、周囲には「趣味でやったら」と勧められ、従業員も当初は微妙な反応だったそうですが、それでも諦めずに12月にファーストバッチをリリースすると、予想を覆すほどの高評価が得られたそうです。

「苦いけど、うまい」

ホップの強烈なインパクトを感じる個性的な味わいは口コミで広がり、東京のバーからの問い合わせから始まり、今では北海道から沖縄まで志賀高原ビールが届けられています。

ビールの仕込み水には、すべて志賀高原の湧水を使用しているのも特徴

「もともと地元での販売をメインに考えていたので、想定以上の反応でした。特に日本にはない味わいだったIPA(インディア・ペールエール)というホップを大量に使ったビールを造ったことで、おもしろがってもらえたのかもしれません。今やクラフトビールでIPAといったら、相当数のビールファンに志賀高原ビールを思い浮かべてもらえるようになりました。それは、早くからIPAの醸造を手掛け、こだわりをもって造り続けてきたからだと思っています」

自社畑でのホップ作りも開始し、循環型農業も実践

さらに、軌道に乗った2006年からはホップ栽培を開始。というのも、昭和30(1955)年頃まで周辺地域一帯は日本最大のホップ産地で、佐藤さんも幼少期にはホップ畑を目にしていたのだそう。時代の流れで長野でのホップ栽培は下火になったものの、「この地で本来育つはずのもので、かつての技術も残っているのならやってみたい」との思いが原動力になりました。

1年で8~9mほどツルを伸ばし、松ぼっくりのような独特の実をつけるホップ

「おいしいビール造りにはプラスアルファの努力が必要です。そこで原料に関わることができたらほかのブルワリーと大きく差別化できる可能性があると思いましたし、もっと農業に密なほうがビール造りが楽しくなり、周囲からもおもしろいと思ってもらえると考えました」

そこで、かつて地元でホップ作りに長年携わっていた蔵人の協力のもと、自分たちでホップ畑を整備。すると、ほかのブルワリーやビールファンの興味を引き、意図せず絶大なマーケティング効果が得られたそうです。

古い木製の電柱を近隣から集めて支柱にし、自分たちでバックフォーを使って開墾したホップ畑

2007年からは生ホップを仕込みに使った「Harvest Brew」シリーズをリリースして評判に。また、もともと蔵元では酒米「美山錦」を栽培していましたが、その酒米を使ったビールもおもしろいのではないかと、今では定番となった「Miyama Blonde」や「山伏・壱・saison one」といったビールの醸造も開始しました。

田んぼやホップ畑の肥料にはビールの麦芽滓を発酵させた堆肥を使用し、循環型農業にも取り組んでいる

さらに、知人から譲り受けたブルーベリー畑やラズベリー畑で収穫した実は、ベルギースタイルのビール醸造に使っています。

「日本酒は比較的、造り方が限られていますが、ビールはいろいろな原料が使えて可能性があります。そうしたなかで、自分たちの目が届く範囲の素材を使うことも大切にしています」

ラズベリーやブルーベリーはスタッフが交替で早朝に収穫している
ビールと音楽の祭典「SNOW MONKEY BEER LIVE」

さらに2008年からはホップの収穫期に「ホップ摘み」の手伝いを募集。さまざまなブルワーが参加するようになりました。

「クラフトビール業界は世界的に、同業者がオープンに付き合っているのも特徴です。小さな市場を、みんなで大きくしようという思いがあるからかもしれません」

毎年夏には、各地のブルワーやクラフトビールファンがホップ摘みに参加

そんなブルワー仲間たちと毎年、収穫後にはバーベキューを楽しんでいました。その縁からミュージシャンとつながり、発展したのがクラフトビールと音楽フェスの融合「SNOW MONKEY BEER LIVE(スノーモンキービアライブ)」です。国内トップレベルのクラフトビールのブルワリーと多彩なジャンルのアーティストが集結し、2012年3月から志賀高原のホールを会場に、毎年開催しています。

全国から100種類以上のクラフトビールが集まる「SNOW MONKEY BEER LIVE」

「僕も音楽が好きですし、音楽とビールは相性がよい一方で、どちらも生きていくうえで必須ではない贅沢品です。その組み合わせによる非日常の空間で、ビール好きがアーティストのファンになったり、逆に音楽好きがクラフトビールを好きになったりと、贅沢を共有して人生を楽しめるところがいいなと思っています」

最近では海外のブルワリーやアーティストの参加も見られ、来場者の2〜3割を外国人が占める場合も

なんとプロモーターは入っておらず、ブッキングはすべて佐藤さんが担当。それもすべて、ビールが人の縁をつなげてくれているからだそう。今や自社イベントのみならず、国内外、さまざまなビアフェスへの出店の引き合いも多く、佐藤さんは販売スタッフとしても自ら各地に足を運んでいます。

最近では毎年7月末に新潟県の苗場スキー場で行われる野外音楽フェス「FUJI ROCK FESTIVAL」にも出店
樽熟成にコラボ企画も。まだまだ止まらない「おもしろいビール造り」

2015年には新工場を設立、以前の倍量が仕込めるようになりました。それまで佐藤さんは朝3時に出勤して4時に仕込みを開始し、ダブルバッチ(1日2回の仕込み)を繰り返す日々。しかし、新工場の稼働によって「時間がない」と危機感を抱いていた、新製品を考案する余裕も生まれました。

「設備投資は次のステージに移るタイミング」と決意し、1年以上の準備期間を経て稼働させた

そうしたなか、昨今は世界的にクラフトビールブームが再来し、ユニークなマイクロブルワリーが各地で続々と登場していますが、佐藤さんはそんな状況も楽しんでいます。

「クラフトビールには付加価値があり、日本ではおいしさを知ってもらえる余地がまだまだあると思っています。それに後発組は総じてレベルが高く、刺激になるマイクロブルワリーもあります。だからこそ、僕らは彼らに負けないようにおもしろいビールを造り続けていかないといけません」

そんな「おもしろい取り組み」のひとつとして、見据えているのがワイン樽やウイスキー樽を使った樽熟成のビールです。

「純粋なビール酵母ではなく、自然酵母の力を借りて普通のビールではできない、よりドライで複雑なビールを造るプロジェクトも進めています。サワーといわれる酸っぱいビールは日本にはほとんどマーケットがありませんが、それを造っていくのもこれからの課題です」

とはいえ、将来を見据えて計画的に事業を進めていくのは、佐藤さんの性分ではないのだとか。

「今までも行き当たりばったりでやってきましたが、おもしろいと思うことに取り組んでいるうちにいろいろなことが起こってきました。その興味は失わないようにしなければいけないですね」

おもしろい取り組みに惹かれ、志賀高原ビールを造りたい若者が従業員として全国から集まっている
ビアコンテストには一切出品しないものの、世界最大のビールマニアの評価サイト「ratebeer.com(レイトビア)」では過去4回、日本一の高得点を獲得

さらに、長野県全体のクラフトビールの人気拡大も佐藤さんは見据えています。

「長野にはレベルの高いブルワリーが多く、全国トップクラスだと思っています。だからこそ地元の人にもっと知ってもらいたいですし、そのためにも、これからもおもしろがってもらえるビール造りを続けていきたいです」

クラフトビール界のカリスマとも評される佐藤さん。その背景には妥協を許さず、信念をもっておもしろさをとことん追求する存在感のみならず、地域や業界の将来を見据えるブルワーとしての確かな覚悟も感じました。

新製品やイベント情報は佐藤さんが2007年5月から一日も欠かさず続けているブログ「ゆるブル」のみで発信。それでも限定ビールはインターネットで即完売する
「苦い人生」は「ホップのある人生を!」という意味を込め、醸造開始10周年で思いついた言葉。このロゴは志賀高原ビールのトレードマークとして人気を集めている

佐藤栄吾
老舗蔵元「玉村本店」の8代目兼志賀高原ビールの醸造責任者。外資系証券会社「ゴールドマン・サックス」、株式会社ファーストリテイリングの勤務を経て、2003年、38歳で家業へ。2004年9月に志賀高原ビールの醸造開始、同年12月から販売開始。2019年、株式会社玉村本店の代表取締役専務から社長に就任。ゆるブル http://slowbrewing.blog104.fc2.com/

取材・文/島田浩美
長野県出身・在住。大学時代に読んだ沢木耕太郎著『深夜特急』にわかりやすく影響を受け、卒業後2年間の海外放浪生活を送る。帰国後、地元出版社の勤務を経て、同僚デザイナーとともに長野市に編集兼デザイン事務所「合同会社ch.(チャンネル)」を設立、「旅とアート」がテーマの書店「ch.books」をオープン。趣味は山登り、特技はマラソン。体力には自信あり。

撮影/青木 圭
編集/くらしさ

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